WEBマガジン雛形 – 特集「ふくしまの 友たちに 逢いにゆく」企画・文を担当しました

“違う” で立ち止まり 観察する
ライフジャーナル・マガジン「雛形 hinagata」
特集「ふくしまの 友たちに 逢いにゆく」
企画・文を担当しました。

新聞記者から大熊町役場職員へ。 わからないから知りたいから、動き続ける。

10年よりもっと前からはじまった、わたしと福島とのつながり。きっかけは「FOR座REST」という、それまでに経験したことのないような音楽イベントに訪れたことでした。2008年のことです。
そのおまつりを運営する気持ちのいい人たちと仲良くなり、遊びに行くようになって、福島が大好きになりました。そのあと、福島で、東北で、日本中で、いろんなことがありました。
どこかで何かがあったとき、思い浮かぶ顔がある。
そんな自分だけの地図をつくってきたような、この10年。
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私の中の「どこか」は、
その地で出逢った友たちの姿でできている。
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その信念を、昨年11月に初めて行くことになった福島の「浜通り」でも実感しました。偶然の出逢いの連続なのに、自分の心の旅のつづきでもあるような。
取材をはじめたとき、本当は自分で書くつもりではなかったのに、出逢う彼女たちの物語に触れたら、わたしが書く以外は考えられなくなってしまって、打ち合わせしながら取材メモの横に走り書きしていた「ふくしまの 友たちに 逢いにゆく」の文字をそのままタイトルに、4つのお話を書きました。
わたしの大好きな、5人の友たちの話です。
昨日3/1の夜に公開されたお話は、これまでにも書いてきた福島市の「オプティカルヤブウチ」や「PICK UP」からのつながり、元新聞記者で、今は大熊町役場につとめる 喜浦遊ちゃんの話です。
その他の3つのお話に出てくるのは、今回の取材をきっかけに知り合い友となった、個性豊かな面々。
東京に住みながら故郷・広野町とつながり続ける智絵美ちゃん。幼なじみに誘われたのがきっかけで、広野町に古くから伝わる名も無い盆歌を継承し、その後「プロジェクトFUKUSHIMA!」の企画でビッグバンドとのレコーディングにまで参加することに。
東京から富岡町に移り住んだ たまちゃんと、山形から移り住んだ みなみちゃんのお隣暮らしの話。思いがけず幼い頃の自分を癒していくような日々を送る二人の話に、私も涙、涙の取材となりました。自分で富岡に住むことを選び、人生をつくるの彼女たちの現在地。
震災当時13歳、現在23歳となった菜々美ちゃんは、今もなお帰還困難区域となっている生まれ育った家の周辺や双葉郡各地を回るオリジナルツアーを企画・運営。高校で演劇と出逢い、少しずつ少しずつ震災と向き合っていった彼女の今。
今、浜通りってどうなっているんだろう?
この間も地震があったけど、大丈夫なのかな?
でも、わたしは「当事者」じゃないしな・・・
いろんな疑問や想いが、あると思います。でも、それは当たり前。だってみんな一人ひとりの別々の人間なのだから。
あの10年前の3月、誰もが何かしらの影響を受け、大きくも、小さくも、人生が変わったはずで。だからこの10日間くらいの間、この10年を見つめて、福島や東北にも心を寄せる時間になればと願います。
ぜひ読んで、そして語り合えたらうれしいです。
語り合いたくなるような物語を、投下しますから!
そして取材を受けてくれて、たくさんの話をしてくれたみなさん、本当にありがとう!この先の展開も、楽しみで仕方ないです。
 

 

◆そして、私がこれまでに書いた
福島の記事はこちらに!
合わせて読んでいただけたら、この上ないよろこびです。


今の福島には、日本のこれからが詰まっている。2011年の中止から5年ぶりの復活「FOR座REST」が育んだ、そのつながりの物語(2015.7)
https://greenz.jp/2015/07/04/forzarest/


きっと福島のこの先の、同じ景色を見ているから。 吉祥寺から福島へ移転した「食堂ヒトト」の現在地(2017.2)
https://greenz.jp/2017/02/08/shokudou_hitoto/


店からビル、通り、そしてまちへ、くっきりと広がっていく波紋が福島市のひとの流れを変えた。「オプティカルヤブウチ」と「食堂ヒトト」の タテ・ヨコ・ナナメな働き方(2019.6)
https://greenz.jp/2019/06/07/yabuuchi_hitoto/

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