今年2月に公開された映画「盆唄」。
逗子が誇るミニシアターCINEMA AMIGOでお盆の時期に上映していたので、遅ればせながら
見に行くことができました。そして思うこと・・・
“現代の、特に「男性たち」に、「祭り」がまったく足りていない!!!”
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わたしが「祭」というものを気に留めるようになったのは大学生時代、チンドン屋のサークルを立ち上げようと学内で宣伝したりしていたとき、なぜか向こうから迷い込んで来てくれた同級生「石井くん」との出逢いがきっかけでした。
石井くんはいわゆる「お祭りキチ◎イ」で、地元飯能のお祭りで山車に乗ってお囃子をやっていて、特に笛の名手でした。銀行や何かの各種パスワードはすべて「0884(おはやし)」に統一するほど、徹底していました。彼はわたしたちに数々の名言を言い放ちました。
「俺は祭りのために生きてる。祭りがないみんながなんの為に生きているのか、俺には本当にわからない」
彼は本気でこう言って、卒業後は地元の教師になり、地元の人と結婚し、3人の子をもうけ、今もお囃子をし続けています。きっと子どもたちもすでにお囃子漬けでしょう。生まれ育った地域にそういった祭りを持たなかったわたしは彼のことが羨ましくもあり、その後ひとり旅をするようになって訪れた沖縄でもそういったお祭りや芸能に触れ、こうした土地に生まれなかったことを残念に思ったりもしました。
また彼との出逢いから、祭りはこうも人々を熱狂させ、それを中心に生きるほどにしてしまう力があることを意識するようになりました。世界を見渡してみれば、リオのカーニバルに人生(とお金のすべて!)を賭ける人もいるし、日本のお祭りも然り。数は減っているのかもしれませんが、今も一定数のこうした人たちがいると、わたしは各地のお祭りをめぐる中で確信しています。
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映画「盆唄」に出てくる主人公は、福島第一原子力発電所事故によって避難区域となってしまった双葉町での盆踊りを復活させようとするおじさんたち。小さい頃から一緒に遊び、一緒に育ってきて、盆踊りの囃子方を一緒にやってきて、そして避難した先でもお隣同士に住む大親友の二人と、彼らを取り巻く「盆踊り愛」溢れるひとたちです。
彼らがなんともしなやかで、強くて優しいこと。
子どもの時のままじゃれあって、時に本気で語り合い、お互いがお互いをフォローしあって祭りの復活に向けて気持ちを動かしていく姿はたまらなく美しかったです。
わたしが今まで出会ってきた、各地のお祭り大好きな男性たち。数にすればほんの少しですが、映画を見ながらその顔を思い浮かべていました。
今、やっぱりみんな忙しすぎて、疲れすぎていて、職場での人間関係しか持つ余裕がない人たちが多すぎるような気がしています。女性は基本的にコミュニケーション能力が高いし直感的な人が多いのでおおかた心配ないかな〜と思うのですが、問題は男性です。世界中が明らかに新しい価値観にシフトしていく中で、男性たちに「話が通じなくなっている」、そんなエピソードをあちこちで聞きます。
日本人はコミュニティを「祭り」を中心に作り上げてきた民族だとわたしは考えています。そこには家庭だけではなく、年齢というタテの軸だけでも、友達というヨコの軸だけでもない、先輩やちょっと年上のお兄ちゃんというナナメの関係性がたくさんあります。
また、年上の人への眼差しが、自分が知らないこと・・・舞や儀式の所作、歌、運営にまつわることなどなどたくさん・・・を教えてくれる先達であるということから、ナチュラルに醸成される「尊敬」なのです。
目上だから尊敬しろ!
そんなことじゃないんです。知らないことを知ってたり、舞や歌や太鼓がうまいから、尊敬されるんです。
理不尽なことももちろんたくさんあるけれど、それでも祭りの日を迎え、みんなで一つのことをつくり上げていく中で信頼関係が生まれます。しかも祭りの日は無礼講!めちゃくちゃに酔っ払っても、祭りという場が優しく包みこんでくれます。人間はそんなことを、本能的に、むかーしむかしからやってきたのでしょう。
祭りは決して、一人ではできないんです。
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今も現在進行形で、お祭りはどんどん失われていっています。でも新しい祭りやフェスが生まれたり、コミュニティにまつわることもたくさん生まれています。そういった「お金にゃならないけど地域で暮らすことが楽しくなること」に時間をもっと使えるように、働き方も変えていく必要があるでしょうよ。
以前、ごかんのもり(息子が1年だけ通った逗子の保育園)で藻谷浩介さんのお話会がありました。藻谷さんも同じようなことをおっしゃっていました。「人生は今や9回裏まである。会社勤めの期間にしか役立たないようなことしかやっていないで、働くのは8時間にして、あとは地域活動や恩送り、関係資本を増やすようなことに時間を注ぐべきだ」と。政府が発表する各種データを紐解き、日本各地を歩いてそこに住む人と対話をし続けた結果として、そのような見解を話されていました。
実際に、そのような暮らしにシフトしていっている人たちが、わたしの周りだけでもたくさんいます。自然が豊かなところで、自分たちの暮らしを自分たちでつくり、そのエネルギーが行政をも動かしはじめています。
好きで訪れているお祭りや盆踊り、そして「もっとかっこよく踊りたい!」という思いから昨年から参加している「鎌倉イマジン盆踊り部」でおじゃましたり、やぐらの上で踊らせていただいた盆踊りの現場でも感じることですが、近年、若いお客さんがすごく増えたな〜〜〜と。みんな踊りたいんです。踊り足りないんです、きっと。
都会の分断された日常の中にもっともっと、こうしたエネルギー発散&エネルギー交換の場が必要だと思います。女性はおしゃべりやごはんで勝手に発散できる人が多いからだいたい大丈夫。男性が心配です・・・地域のお祭りや活動に参加するきっかけが増えればいいし、それができるような働き方にシフトしていく必要性がどんどん高まっています。地域活動はライフラインでもある。今やどこが「被災地」になっても、誰が「被災者」になってもおかしくないのですから。
あたたかい気持ちとそんな危機感。
映画「盆唄」はわたしたちに、放っておいたらなくなってしまいそうな大切なものをたくさん教えてくれる映画でした。
写真は愛すべき東栄町「花祭」の一コマです。ここでしか見られない妖精たちの乱舞に酔いしれたいみなさん、11月第2土日は現地へGO!ですよ。ご案内します〜♨️
(この文章は「盆唄」を鑑賞してすぐの2019.8.5にFacebookに投稿したポストに加筆・修正を加えたものです)