思い込みのstoryを “踊ること” でぶち壊す 〜Movement Medicineリトリートからの学び その1

4年ほど前からはじまった、本当の自分に還るインナー・ジャーニー。
暴力的な父親から受けたいろいろな傷や、うまくいかなかった家族の関係から、いつの間にか勝手につくりあげた自分の中のストーリー。
ここ数年、「メンタルモデル」という言葉で世の中でも認知され、さまざまな場で、さまざまなアプローチで、それを克服すべく多くのひとが自分の内側への旅を続けていることと思います。

わたしも時にそういった場に足を運んだり、本を読んだり、親友たちの力を借りることで、思い出したくもない・思い出そうとしても思い出せない過去の傷を見て、自分を癒そうともがいてきました。

そして今年の誕生日、やっと核心に到達しつつある(いや一生終わらないんだろうけれど!)インナー・ジャーニーの話をここに書きました。

誕生日に考える「魂のミッション?」とか「人生の意味?」とか

父親がおかしな人だったことは今までそんなに話してこなかったし、このような内容のこともあまりオープンにはしてきませんでした。別に誰もこんな話、読みたかないわな〜と思いつつ、親友に促されるままに書きなぐりました。しかし、これを書いたことで、久しぶりに逢った友人から「読んだよ〜」「すごく心に響いたよ〜」と声をかけてもらったり、自分自身も考えてみるきっかけになった、というような励ましの言葉も多くいただきました。

また、先日ある雑誌のインタビューを受ける機会をいただいた際も、編集の方がこのポストを読んでくださり、取材を決めたということでした。過去の傷や、そこからもたらされた「メンタルモデル」によって苦しむ人は少なくなく、こういった経験こそ読者に伝えたいことなんだと、わたしとのまったくもって “いい話” にならない会話を持って帰ってくださいました。どんな記事になるのか、とっても楽しみです。

チェコのキヨフというまちの4年に1度の民族衣装のお祭りへ 2015

いくらアタマで考えようとしても、限界がある

わたしは今まで、そうした自己探求をアタマでぐるぐると考えたり、紙に書いてみたり、友人と対話してみたりというアプローチでやってきました。先のポストでも触れた、4年前に参加したそれこそ「メンタルモデル」を知り、ぶち壊そうとするリトリートで、「会社とお父さんを重ねているように見える」と指摘され、それが大いなるインナー・ジャーニーの幕開けとなり、大企業を辞めるに至りました。

そこから月日は流れ、だいぶスッキリはしてきたけれど、結局のところ「自分には価値がない」というメンタルモデルがずっとアタマのどこかで囁かれ、行動できずに立ち尽くしている感覚があったのです。あんなに旅をしたりあっちこっち行ったりしているのに、です!

そして最近になって、結局のところ「踊ったり、歌ったり、素晴らしい表現に触れたり…カラダから直接もたらされる”喜び”の感覚でしか自分は癒されないのではないか?」という考えに漂着しつつありました。そこで偶然知ったのが「Movement Medicine(ムーブメント・メディスン)」という、コンシャス・ダンスのメソッドでした。

ムーブメント・メディスンって?
(ムーブメント・メディスン ジャパン パンフレットより引用)
ムーブメント(動き)がメディスン(薬・癒し)となるダンスです。「動く瞑想」とも呼ばれ、型を覚えるのではなく自然に生まれる動きを追求しながら、身体・心・頭それぞれ本来の役割を活性化させることで潜在能力を引き出します。
古の時代から歌い、踊り、祈り、セレモニーを行うことは、人間の生きる営みの大切な一部でした。ムーブメント・メディスンは人類が継承してきたその営みの現代版です。

Movement Medicineの創始者であるスザナ・ヤコブ夫妻がふたり揃って来日し、全国各地でワークショップが開催されましたが、わたしはその中でも一番ディープな3泊4日のリトリートへ。3連休が重なり、家族の協力を得て参加することができました。こんなにガッツリ自己探求の場に参加できたのは、4年前のリトリート以来でした。

自分がつくりだした思い込みのstoryをカラダで感じ
とにかく…踊る!踊る!踊る!

「Phoenix Rising」(立ち上がる不死鳥!)と名付けられたそのリトリートは、本来、イギリスにある彼らの本拠地では10日間ほどのプログラムであると聞きました。きっと休息や内省の時間も含めゆったりとしたスケジューリングのもと行われるのだと思います。が、今回は3泊4日です。ものすごく濃く、盛りだくさんすぎて、消化できないほどの密な時間でした。

もういい加減、変わりたい。自分自身を思いっきり生きたい。強いコミットメントを持って参加し、また他の参加者のみなさんからも同じような強い意思を感じました。ここにこうしてお互いたどり着いた。それだけでお祝いってなもんです。

へ〜、お前も結局スピ系か!?なんていう声がどこかから聞こえてきそうですが(笑)ちょっと待った!先に引用した「ムーブメント・メディスンって?」の説明にもあるように、人間は古来から踊り、歌い、祈り、セレモニーを行ってきたのです。どうにもならない自然の脅威を前に、祈ることしかできない。宗教を持っていなくたって、あ〜どうか明日の遠足晴れますよーに!テストで100点取れますよーに!なんて寝る前にお祈りしたことだってあるでしょう。

むしろ、祈ることや踊り歌うことを忘れ、奪い合い戦い、境界線をつくり、分断の世の中をつくりだしてきたのは、わたしたち現代人なのです。奪い合うことではなく、自らの力で自らをヒーリングすることは、人間が兼ね備えた叡智なのです。

本来の自分を取り戻す手段として、人間が古来からの知恵として行ってきたプリティブな姿に戻っていく。わたしのインナー・ジャーニーは、結局はそんな道筋をたどりました。

バリ島の祈りの風景 2014

そんなこんなで、荒治療、スタート!
ライトなワークからはじまり(はじまってすぐ、踊りまくる!なんやかんや踊れちゃう!)どんどんディープな領域へ。音楽と、ヤコブとスザナの声による誘導に身を任せ、心の奥底に潜っていく体験。つらい記憶がフラッシュバックしても、涙があふれても、絶望に足がすくんでも… なにが起きようとも「Keep moving」踊ること、動くことを止めない。音楽も、止まらない。

さまざまなプロセスがあったけれど、それをわたしが解説しても伝わらないと思うので、以下はわたし自身がそこで得たものや、体感したことだけを書いていきます。

「自分には価値がない」のstoryを
つくりだしていたもの

終始、踊りの中にいて、メモを見返してもどのワークでどのブレイクスルーがあったのか思い出すのはとても難しいですが・・・

ワークのひとつに、自分がつくりだしていたstoryをひとつの文に集約し、自分の前に小さなサークルを設定し、そこを動きながらその時の感覚を動きの中で表現していくというものがありました。「自分には価値がない」のstoryをぐるぐるしながら、今まであまり思い出さなかったようなむかしむかしの記憶が次々とよみがえってきます。つらくて、悲しくて、そして小さなわたしはあまりにも無力で、動きが止まりそうになります。それでも響き続ける音楽に身を任せ、踊り続けます。

思い込みのstoryではなく、そこから浮かび上がってきた本当のstoryはなに?
いつの間にか立ち上がってきたそれは「わたしは表現者だ」という一言でした。

思い起こせば、まだ記憶もない小さい頃・・・わたしは繁華街に集まったロックンロール族?(当時流行ってた、ポニーテールやらリーゼントやらでツイストを踊りまくる集団!?)のところに突入していって踊りまくったという逸話からはじまり(笑)、絵で賞をもらったりとか、歌がうまくてバンドのヴォーカルをしたり、文化祭では企画の真ん中で仕切り、卒業式ではムービーのディレクションをし…などなど、いつも表現者でした。

でも、家にはいつブチ切れるかわからないマル暴(暴力団担当の刑事…)の父親がいて、「お前たち(わたしと妹)がいなければとっくに離婚している」「人生で一番大切なものは何かわかるか?金だ」と言われ続け、何かあれば暴力で押さえつけられ、さらに「お前のことがかわいいから殴るんだ」と言われながら殴られ蹴られていました。なにが原因で怒られたのかはさっぱり覚えていません。暴力の恐怖だけが今も根強く残っています。また、父「なにが人生で一番大切かわかるか?」→わたし「お金」なんて問答までさせられる始末。

父から植えつけられた価値観。当時まだ子どもだったわたしはそれをどう扱っていいのかわかるはずもなく、表現者でいることをお金につなげるすべもわからず、とにかく勉強して進学をして、お金を稼いで父親を見返す。そんなことくらいしか思い浮かばなかったし、ワークの中で味わったのは大きな大きな無力感。何度も動きが止まりそうになりました。

そんな記憶がぶわーーーーっとよみがえり涙が止まらなくなった時、傍にいてずっと寄り添っていてくれたアシスタントのイタリア人ティーチャー Silvanaが耳元で囁いてくれた一言で、わたしは自分を取り戻すことができたのです。

足を信じて。足にフォーカスして。
あなたの足が、すべてを知っているから。
ふたり旅では数少ないツーショット写真 オアハカ空港にて 2017

そうだ。わたしはこの足で、
世界中を日本中を歩いてきたんだった

足。この足。確かに、この足で歩いてきた。
行ったことのない場所に行くのが好き。想像もしなかった風景やできごとに遭遇してワクワクするのがたまらない。子どもが生まれたあとだって、バギーに乗せて、手を引いて、まだ見ぬ土地を歩いて来たのは他でもないわたし。この足で旅してきたんだ。

ドイツ・ライプツィヒ駅 バギーとバックパックでの旅 2015

そこから、「わたしは表現者だ」という新しいstoryでまた踊りはじめると、さっきまでの重苦しい感覚が少しずつ、少しずつ、解き放たれていくのがはっきりとわかる。今まで「わたしには価値がない」〜「わたしは何者でもない」〜「どうせわたしは実現できない/中途半端/器用貧乏」……∞∞∞の無限ループをつくりだしていたのは、わたし自身の思い込みのstoryでしかなかったのです。

わたしには揺るぎない、自分の足で歩いてきた経験と、そこで拾い集めた叡智やたくさんの物語がある。そして、今のわたしをこの世に導いてくれた生命という偶然の産物と、多くの祖先たち、家族、友人たちがマンダラのように複雑で美しい環を描き、その奇跡の真ん中に立っている。わたしは表現者であり、創造する人。その力を確かに、持っているんだ。

そうして、踊りの輪ができていれば「そこがわたしのステージだ!」と言わんばかりに走っていき、喜びの中で踊っている自分と再会したのです。

ブラジル・サルヴァドールのカーニバルで 2019(photo by hirosuke kitamura)

わたしは音楽になら、身もこころも委ねられる

さまざまなアプローチによって、この無限ループのことは理解しつつあったけれど、わたしにはMovement Medicineがぴったりだった。なぜならそこには、わたしが心から愛し、人生をともにしてきた音楽があるから、というのがとても大きかったです。

メンタルモデルを立体的に体験しボロボロになっても、音楽を頼りに、不死鳥は立ち上がる。泣いても泣いても立ち上がり、素っ裸のこころで踊りまくったとき、同じように立ち上がるよちよちフェニックスたちと顔を見合わせて大笑いして踊りまくった。踊りすぎて筋肉痛になったのなんて、初めての経験でした。汗だくになったあとは温泉にダッシュしてドボン。この4日間はわたしにとって、完全に、イニシエーションでした。

ひとまず、もう大丈夫。
きっとまだ何度もくじけるけれど、いつでもこの体験に戻ることができる。
またその時は大好きな音楽をガンガンにかけて、仲間と踊り狂えばいい。
最後に4日間を分かち合った仲間たちと踊り、ハグをして回ったときには、それはそれは1本の映画を見ているかのように美しい harmony 調和の世界がそこに立ち現れていました。この風景を、わたしは信じることができる。

 

強烈なリトリートから帰ってきて、バタバタとした日々を過ごしてあっという間に1週間。わたしはわたしの人生を、これからもただただ楽しむのみです。

優秀なこの足を信じて、導かれるままに。

このリトリートを経てもう一つ、自分がこれまで知らず知らずのうちに探求しつづけていたミッションがはっきりしました。「その2」につづきます〜

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