誕生日に考える「魂のミッション?」とか「人生の意味?」とか

今日2019年7月15日は、わたしの39回目の誕生日。
いよいよ30代も最後の1年、人生の半分か、それ以上か、生きた。

おもしろおかしく生きてきたつもりだけど、正直なところ、自分の人生がくっきりしてきたのはつい最近からのような気がする。こどもが生まれて絶対的に「必要とされる」ことを通じて、自分がいる価値をやっと認識できて、ぼんやりとしていた輪郭がやっとくっきりと浮かび上がってきた、そんな感覚だ。

「会社員」であることをやめて、4年。
この4年の間にも随分葛藤があり、自分の中に潜ったり、親友たちの力を借りて自分を研究したり、上がったり下がったりを繰り返しながらもがいてきた。

自分は何者か?何をしにきたのか?何がしたいのか?
人生は自分を知ることからはじまる。そうわかっていても、なかなかわからない、この自分という存在。

ここ数日で、開き直ってきた感覚がある。
これで十分でしょう!わたしはただこの感動を味わいたくて生きている。

マル暴の家に生まれて。

父親が刑事で、しかもいわゆる「マル暴」で、それはほぼ「暴」であることを意味していて、ブチ切れると何をしでかすかわからない、今思えば相当おかしい人だった。とにかく怖いし殴る蹴るされるので、いつも彼がキレないように気を遣い、ご機嫌を伺っていた。母はわたしと3つ年下の妹を守ってくれたが、家に帰ると顔を腫らした母がいたり、父の母に対する暴言を聞くのも日常だった。

そんなわたしはとにかく父をキレさせないようにいい子にし、なるべくいい成績を取り、棚ぼたでいい大学に入って無理やり東京に出た。なんとかして家を出たかった。当時は「東京に出たい」が表向きなモチベーションだったけれど、今思えば相当、父から離れたかったんだと思う。

今思えば、がどうしても多くなってしまうのは、当時は恐怖のあまり思考停止していたような気がするからだ。家庭のことを思い出すとき、わたしの頭の中に浮かぶつらい光景は必ず「俯瞰図」なのだ。その場からしゅーっといなくなり、舞い上がり、自分を眺めていたような視点。

妹や母とおバカなことを言い合ったりした楽しい思い出ももちろんあるけれど、それよりもぼんやりとしたつらい思い出の方が強く残っている。わたしはもう20年近く父とは逢っていないし、逢いたいという気になれない。まだ怖いのだ。

ラサ近郊の山に登って偶然出逢った寺院にて 2007

自由を手に入れた、大学生時代

大学生時代、それは本当に天国のような日々だった。自由だった。

今に至るまでライフワークとなった「チンドン屋」と出逢ったのも大学生の頃。旅をはじめたのも。道の上で音楽を奏で祝祭を作り出し、世界中の道の上に音楽や祝祭を探しに行く。隙あらば旅へ。そんなわたしになったのはハタチの頃からだ。

チンドン屋という珍しいことを仲間とゼロから立ち上げ、小遣い稼ぎまでするようになっていた。そのまま自由な道をつき進めばよかったものを、父親の呪縛から逃れられなかったのか・・・「就職」の道へと進み、就職氷河期を勝ち抜いて大企業に就職した。父に報告することはなかったが、どこかで「見返したい」という気持ちもあったように思う。仕事を楽しいと思えることもなくなんとか過ごし、別の大企業へ転職し、気づけば10年ほどが経っていた。

出産し、わたしのことを必要としてくれる乳飲み子がいるのに、楽しくもない仕事に行くことに意味を見出せなくなっていった。(これは、あくまでわたしの場合だ。仕事が楽しいから育児もがんばれるというお母さんは多い)心が壊れかけていっていることを、相談していた友人から指摘されるようになっていた。そんな時行った自己探求の場で初めて、家庭で暴力を受けた人の心の傷の深さ、メンタルモデルの複雑さが指摘されていて、え!?それってわたし!?!?と・・・自分のこれまでを振り返る必要性を知ったのだ。

え、え、えーーーーっ 大タンカを待つひとびと 2007

当たり前でしょ!アホか!!と思うかもしれないけど、それまでのわたしはやっぱり自分が受けたことを「俯瞰」してしまっていたし、どちらかというとおもしろおかしく語ることで消化した気になっていたのだと思う。(実際、父親がおかしいがゆえの驚愕エピソードが山ほどある)

ブレイクスルーのはじまりとなった宿泊型の場で「なんで会社を辞められないのか」を話していたとき、ファシリテーターのみーちゃんに言われてハッとした一言。

「会社とお父さんを重ねているように見えるよ」

しばし意味がわからず困惑・・・・・・ののち、ハッキリと理解できた。「どうせわたしは」と言い訳をつくるそのとき思い浮かべるイメージ。左足に足かせのようなものをつけられているような重み。「どうせわたしはお父さんが怖いから何もできない」「どうせわたしは会社を辞められない」・・・・・完全に同じような左足の感覚にぞっとした。そしてわたしは会社をやっと、辞められたのだ。

そんなこんなで、4年が経った

幸い、大企業に勤めた10年ちょっと、たくさんお金を使ったけど貯めてもいたので、この4年は仕事よりもこどもとの暮らしを大切に、こどもと旅をたくさんし、2017年には半年ほど二人で海外のフィールドワークに出たり、とにかく大いに遊んだ!遊び倒した!!下北沢から逗子に引っ越し自然とも近くなり、日常的に海に入る日々。こんな豊かな暮らしがあったのかと、自然の中で思いっきり、全身で遊ぶ我が子を見て思う。

それでも、自由になってもなお、自由だからゆえの「わたしって何者なんだろう?」が抜けない。わたしはなんのプロにもなれなかった。「どうせわたしは」「どうせわたしは」と自分をいじめる日々が周期的にやって来る

そんなとき、うざいくらいにクヨクヨしまくるわたしを根気よく慰めて、寄り添い、一緒に伴走してくれている親友たちには感謝しかない。やっと、やっと、この数日で、自分に無理やり思い込ませるという感じでもなく自然と、開き直れるような感覚がある。わたしは、わたしでしかない。39歳にしてやっと・・・だけど。

ラサの近くのお寺に修行で住み込んでいた少年たち。今はもう青年になっているんだろうね 2007

魂のミッション?人生の意味?

最高に楽しい!生きててよかった!そんなふうに思うのってどんなとき?

そう聞かれていつも思い出す光景がある。ハタチくらいの頃訪れたキューバのカジェホンという路地で、ルンバを歌い踊る人たちに遭遇したときのことだ。

キューバはおかしな国だった。当時はまだカストロも生きていたけれど、財政は破綻し人々の暮らしは貧しく、ガレキの中に家具を置いて暮らしているような友人もいた。食料の配給があり、国民とツーリストでは全ての価格が10倍くらい違う。旅行者に「自然に」頼り、おごってもらい過ごすのが当たり前の感覚。わたしは気疲れした。

でも、多くの場所で繰り広げられるダンスの光景にはいつも見知った顔があり、弾ける笑顔があった。命がみなぎって、生きる歓びを全身で味わう人たち。その姿を見ていたら、彼らのエネルギーが立ちのぼり、ぐるぐると渦巻いて、空に舞い上がっていくのが「見えた」のだ。まるで光の柱が立つように、ものすごいエネルギーだった。

日本に帰ってきて参加した中野のチャランケ祭りでも、沖縄のエイサーのあとに起きた会場全体でのカチャーシーで同じようなエネルギーの渦巻きを見た。ウチナンチュもアイヌもナイチャーも一緒になって、そのエネルギーがつながり、立ちのぼる。以降、チンドンの現場でも、お互いの息ぴったりの演奏と見ている人の一体感が合わさった時、その現象は起きる。

わたしは本当に純粋に、これが見たい。体感したい。そういう思いで、日本中、世界中のお祭りを旅していたんだ。わかっていたようで、わかっていなかった。このエネルギー、ひととひととが生み出す調和 / ハーモニーの力強さに、心がぶるぶると震えて、そこから巨大なパワーをもらって、わたしは生きている。

近頃、愛知県の山奥、東栄町の花祭に通い詰めているのも、まさにこれだ。人が輪になり、舞い歌い、ものすごい力が渦巻く。生活の営みの中にあるその爆発力。わたしは旅をする中で、まるで宝探しでもするように、こんな光景を求めてきたのだ。

大タンカのご開帳を祝うひとびと。喜びがあふれすごい熱気が立ちのぼる 2007

これでいいのだ。

結局のところ、わたしはひとが集まり、そのパッションを交換し合うことの価値を信じている。
その物語を伝えたり、そこから叡智を得て自分でもそんな場をつくりだすことがわたしの仕事なのだと思う。逢うこと、一緒の時間を過ごすこと、語り合うこと、歌うこと、踊ること。

だからわたしはまだまだ旅をする必要があるし、学びつづける必要がある。何者でもなくたって、それがわたしなのだ。この道を突き進み、そんな場やひとを嗅ぎ当てる「嗅覚」をますます鍛えるのみだ。これでいいのだ。

 

気づけば、友人たちからは全部指摘され続けてきたことばかり。今こうして書いている文字の既視感よ。これまで自分を認めず、「どうせわたしは」と呟き続けてきた自分と、今日ここに決別しました。

Happy Birthday to ME !!!

 

ラサから数時間バスに乗って訪れた尼寺の村。道ばたでこの尼さんに遭遇し、話しかけられて、何を言っているかわからないのになぜか大泣きして泣き止まなかったわたし。結局このときも「あんたはあんたでしかないのよ。これでいいのだ!」って言われてたんだと思うよ。元気かな、逢いに行きたいな。ありがとう。

写真は2007年(わ、12年も前!)に訪れたチベットのラサとその周辺。昔の写真を掘っていたらフォルダが出てきて、当時の音や熱気、香りが強烈に蘇ってきます。チベットのひとびとはとってもシャイでかわいくて、深いやさしさで歓迎してくれました。また訪れたい場所。帰りたい場所。

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